ピアノを習う意味~私とピアノ昔と今~
それでも、習い続けていました。
それなりに弾けるようにはなりましたが、中学では運動部に入ったので練習ができずに定期的なレッスンを止めてしまいました。
それでも合唱の伴奏に3年間選ばれたり好きな曲を自分で弾いては遊ぶということをしていました。
その後の学生時代は単発的にレッスンを受け続け、今までも沢山の先生に師事してきました。
進路の中には、音楽の専門に行くかと迷うこともうっすらとありましたが、それほどの覚悟もなく10代では、他にもやってみたいこと、勉強してみたいことがいくつかありました。
短大は音楽とは別の道に行きましたし、その後の専門も幼児教育の道へ行かせてもらいましたが、これも無駄なものではなく、今でも活かされていると思います。
そんな中、ピアノも含めピアノ以外の音楽も常に音楽が生活の一部にありました。
私が、ピアノを続けていてよかったと感じ始めたのは、20歳も過ぎてからでした。
音楽をわかってくる、もっと言えば音楽が身に沁みる、もっと言えば芸術が理解できるのは、もしかしたらある程度、大人になって人生のいろいろを経験してからなのかもしれないな、と感じることがあります。
楽しくもなかった小学時代のピアノ。 たぶん自発的ではなかったのに、それでも親が習わせてくれたから、こうして今もピアノが弾ける。好きな曲を自分で弾いたり、挑戦できる。音楽を聴く耳ができている。教えることもできる。
両親には、本当に感謝です。
もし、習うきっかけがなかったら、、、今の自分はないと思うからです。
ピアノを習う意味。人それぞれだと思います。
子どもの習い事であれば、楽譜を読むことはもちろん、難しいことをコツコツ何度も練習したり、ピアノは他の習い事と違い、レッスン以外の日に家でも練習しないといけないので、毎日何かをやる習慣をつけたり、計画をたてたり、音楽は演奏や練習を通して様々なことを学びます。
しかし、それを続けた結果、大人になるとそういったことだけではないことを得ると思うのです。
私にとって、大人になってからのピアノとは、当然「趣味で楽しいこと」でもありますが、
それ以上に、癒しであり、活力や刺激であり、またはどうしようもない時の心の逃げ道でもあり...
すべて、目に見えないものです。
だから、長い人生の紆余曲折ある中の、支えになってくれていると感じています。
私は、けして音楽の”エリート”を歩んできたわけではないけれど、こういった支えとしての音楽を知っているので、教えている小さい子にはたとえ今はわからなくても、「ピアノ」を将来大人になった時の癒しや心の支えとしての存在にもなってくれればいいなという思いが強くあります。
ピアノというのは、他の習い事よりも、技術を定着させある程度弾けるようになるまで、というのがとても長いです。それは、すぐに結果が出ないということでもあります。
習う生徒さんにとっても。教える私にとっても。
多くの方が、小さい頃いろいろな曲を楽しく弾ける前に辞めてしまうのも、この期間が長いからではないでしょうか。
ピアノとの付き合い方は、細くても長く。焦らずコツコツと、そして楽しく。
それが、最終的に人生にかけがえのないものとなってくれることを望んでいます。
そのためにも、私は上手に弾けるようになるための、興味を持ってもらうための勉強は怠りません。
今、6歳になる男の子のレッスンをしていますが、たった30分のレッスン時間に盛りだくさんのとても充実したレッスンをさせてもらっています。
私のみているところはこの子の将来ですが、そのための「今」を大事に私も努力していきたいと思っています。
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