"グールドのやさしい音"

 

 グールドの幼い頃のエピソードに、湖でボートに乗り魚釣りに興じる大人たちの中で、グールドは釣り上げられた魚をみて泣いたそうです。

 以来、グールドはもちろん、大人たちはグールドの前で魚釣りをしなかったとか・・。

 

 子供の頃からニックという愛犬がいつも傍らにいて、ピアノの前に一緒に座っている写真が残っていますが、ツーショットのこの写真、犬のニックの視線が楽譜を見ているのが、何とも微笑ましい。


 ニック亡き後、バンクォーという名のコリー犬を飼っていました。

 1957年、グールド24才、ソ連に招かれてコンサートツアーに行った時、レニングラードから愛犬に出した葉書が残されています。

 『  バンクォー グールド様

     きっと君はソ連の犬について興味があるだろうね。

     けど、ここじゃ本当にほとんどいない。

     大半は、戦争中に殺されてしまったそうだ。

     今じゃペットを飼うのはとてもブルジョワなことだと考えているらしい。

     それでも一番よく見かけるのは毛を刈り込んでいないプードル。

     雑種はいくらかいるけれど、コリー犬とおぼしき犬は一匹もいない。 

     君がここにいたら、わがもの顔で街を闊歩できるよ。

     今朝僕の部屋の外で猫がケンカをしていたけれど、君に止めてほしかったな。

     お皿をきれいにして、いい子でいるんだよ。 

                     グレン グールドより       』



 ニックとバンクォーが亡くなった後、2度と犬を飼うことがなかったグールドは遺言に

遺産の半分を動物愛護協会にと残していたそうです。


 グールドはバッハに魅せられて多くのバッハの曲を残しています。

バッハがこんなにやさしい音楽に聴こえたのも驚きでしたが、グールドの弾くどの作曲家の曲にも

グールドのやさしい音が見え隠れしています。


 ピアノにとってのやさしい音って・・・

 ロマンチックに?

 哀しげに?

 陶酔して?

 そのどれでもないグールドのやさしい音

 きっとグールド自身の根底にある優しさの音なのだろうと謎解きしています。



 上の文章は、私の母が書いたものです。

 

 以前にも書いたとおり私は、グールドのバッハとベートーヴェンがとても好きで、何が好きかって

あげればきりがなく、でもそれは私の個人的な好みでもあります。

 母も同じく、グールドの音が好きで、親子で共感できることは嬉しいことです。

 

 私が思うに、母が言っている”やさしいグールドの音”に限らず、テンポや表現すべてにおいて、これがグールドの持って生まれた感性や個性で、

その感性が私たちグールド好きなひとの心に合致するというか、響いてくるのでしょう。

 たくさんのピアニストが全く同じ楽譜を見て同じ曲を弾く、しかもそのひとりひとりが自分自身を表現しようと試みているというのに、響く演奏家もいれば、なんにも響いてこない演奏家もいる。

 

 好きな演奏家ができるということは、その人の感性に共感できるということにつきるのだと思います。

 そして、これだけ多種多様な感性の中から、共感できる演奏に出会えることはとても幸せなことだなと感じています。